違いはそこ

SHOCKでの屋良の演技についての話。08年と09年では屋良は演技を変えてきたでしょう?極端に変えてきたけど、そのどちらも違うんだよなぁ・・・何を求められているかがわからないんだろうなぁ・・・と舞台を見るたびに思ってたけど別にそこは私にとっては無関心だったのでスルーしてた。意図的だったのか無意識的だったのか、今でもわからないけどあのポジションを見事に演じたのは錦戸亮だけですねぇ。今井翼も微妙なんだよなぁ。翼ありきで書かれてたこの脚本も今ではその概念も取り払われてしまって一人歩きを始めてしまったし。まぁね、あの役は「萌え」が何であるかを理解していたらとても美味しいポジションだと思うんですよ。そこを嗅ぎ付けて自らに取り込んだ錦戸は魅せ方をわかってる。光一ファンがほとんどの会場内。観客が何を求めているのかをわかってたよなぁ。。。こちら側に妄想させるのりしろを与えてくれた。残念ながら屋良にはそれが全くない。屋良は自分が経験してきた実際の苦しみ(ジュニア内でのもがきや苦しみ)をあの役にぶつけていた。それはそれで間違ってないのよ。ただね、観客はね、そこを求めてはないんだよね。だって、そこは当然なんだもの。その汚い感情は見ないようにして、どうしても超えられないがゆえに光一に抱く憧れや自分を見て欲しいという愛情を求めるような姿・・・う〜ん、簡単に言うと「憎いけどそれ以上に愛してる」という演技をみせて欲しいと望んでるんですよねぇ。意識的にも出来ないのであれば、、、やはりこの世界は向いてないと思うんですが、どうでしょう。とりあえず屋良に足りないのはそこなんじゃないかと思います。これはSHOCKに限らずデビューと縁が無かったのもそこなんじゃないかと。あのCMもどうかと思うよ・・・。生き残りに必死なことだけは伝わってくるけど、手を差し伸べたいとこちらに思わせる何かが足りないの。