七不思議?

ご無沙汰でした。
横アリオーラス後、いろんな会場のmirrorコンを見ていたらあっという間に一ヶ月が経ってしまいました。オフィシャルは別にいつ発売してくれても全然かまいませんよ。来年はキンキ10周年なので、そちらを優先させていただきたいし。
個人的に笑えたのは、やはり仙台の初回ですね。下弦・夜の海での衣装チェンジでの客の反応ですよ。登場した光一を見たとたんの客席からのどよめきや歓声がしっかり入ってた!そしてどんだけリピーターが多いかも今更ながら実感したりして(苦笑)リピーターというより、各地へのツアー同行者、という方が正しいか。
何度見ても思うのですが、楽しいコンサートでしたねぇ。帝劇では味わえない、堂本光一氏のファンいじりとか、その逆とか。楽しかったなぁ〜。ペンライト振るなんて考えられなかったのに、福井あたりから、しっかり光一達に乗せられてしまったワタクシですよ。

ニコニコなトークや歌やダンスで全力な光一がソロでは当たり前だったせいか、キンキキッズとしての堂本光一が微妙で困ります。どう微妙なんだ!?と思うでしょう?それは、私も聞かれても何て表現したらいいのか適切な言葉が見つからない状態です。ただ「良いのか?悪いのか?」と問われれば、「悪い」と答えるしかないのは確か。なんていうの?堂本光一としてなら100%の力で臨める仕事もキンキキッズになると30%程度しか必要としない、みたいな・・・う〜ん。それを手抜きと受け取るか、と聞かれたらそれは違うの。不完全燃焼なんだよね。見ているこちらが不完全燃焼になるの。だから、ソロだけやってくれていればいい、なんて意見も出てきちゃう。今の二人は1+1=1になろうとしている感じ。堂本剛堂本光一キンキキッズ。存在自体は1+1=1だけどさ、キンキキッズとしての1にこだわるあまり、答えの1になるためには、1/2+1/2=1ってことを二人は強いられている感じでしょ?だから剛も光一もいまひとつキンキに入り込めないのかと思ったり。まぁ、1/2って言葉は、前回の光一のソロコンのツアータイトルで、当時は「うまいこと考えたタイトルだなぁ」と感心したものだけど、「待てよ、それじゃぁ、キンキは1ってことなのか?」と、考えた。そりゃ同人的思考ではハッピーな数式かもしれないけど、実際はキンキになるために個人の力は半減されてしまうの?なんてことを考え出したら、ものすごい複雑な心境になった。お互いにやりたいことがかみ合わない悲劇、二人組みの限界かな。本来の1+1=2にもなれてない現状を嘆いてみました。

もちろん、うたばんにしろHEYでも、トークはニコニコなのでいいのですよ。しかし、歌になるとね。どんな歌を歌っても今のキンキキッズはあの調子に仕上げるしかないんだろうなあと思います。退屈そうに歌ってる二人が見たいわけじゃないのにな。よって歌のみの出演は非常にリスクが高いと判断しました。剛は相変わらず光一に背を向けて歌っていることに何の意味があるのだろうか?ケリーではちゃんと正面向いて歌えてるから、あえてワザとやっていることは明白。あれは見ている人を馬鹿にしているとしか思えない。誰かの真似?何かのアピールなの?訴えたいことがあるからこそ、それはケリーで表現するんでしょ?だったらキンキはちゃんと仕事として自分の心を殺してキンキの堂本剛を演じられるってことじゃないの?と思う私は冷たいですか?いいんです。冷たいんです、酷いんです。そもそも芸能界にいる彼らは他者からの賞賛・批判にさらされることが当たり前の職業なのですから。そして、光一。剛に強く出られない理由が自身の過去の行いにあるにしろ、そうでないにしろ、剛に対して自分の態度を曖昧にしないことが必要なんじゃないかと思うわけです。あの横向きで歌う剛に誰もダメだしを出さないことがキンキの不思議だ。よほど直さない理由があるならば、それは何かの病気なんでしょうか?
はぁ、、、ここまで書いてももやもやが晴れないのは、実に簡単。光一の相方は剛だけなことに私自身がこだわっているからだ。だって、来年度のカレンダーはキンキとして発売されるらしいことを聞いたとき、心底嬉しかったのは偽りようがない事実。だけど、その後しばらく考えていたら、いろいろな不安がでてきたのも事実。こんなこと以前は考えたこともなかったのにな。