堂本剛10月2日宮城公演中止

理由は「会場設営の都合上」という説明をしているようですが、舞台やコンサートのマネジメントに慣れたあの事務所にそんなミスは考えられない。というか、事実は別のところにあると考えるのが自然でしょう。単純にお金の話をするのであれば、会場へキャンセル料を支払った方が損が最小限になるという判断だったのではないかと思いました。(ひょっとしたらキャンセル料かかる前にキャンセルしたかもね)剛のライブは集客力が落ちているというのは以前から聞いてました。ケリーとして横浜やお台場にハコを作ってライブしていたころですら空席が目立ち、招待券がばら撒かれたくらいですし。ちなみに招待券は過去に光一もソロで出しています。事務所としては招待券を出すよりも、ファンの間で余りまくりという位の方がよほどマシなんでしょう。とりあえずチケットは額面通りに完売しているのですから。完売後は、会場へ来るこないは購入者の意思ですものね。それに、チケットの額面だけでなく、堂本剛というブランドのことも含めここまで安売りされたら、ファンは自分の都合が合う時に参加すればいいと考え出し無理して都合をつけるようなことは少なくなりますし、チケットの売れ残りが予測できるから良席を安く買おうと考え出してファンクラブでは申し込まなくなるという悪循環が発生してしまうんです。
剛のライブは音楽性を追求しているようで、参加しているミュージシャンもそうそうたるメンバーのようですね。十川さんが関わった時点でそうなることは目に見えていました。いずれASKAさんやその周辺と繋がるであろうことも。その音楽性については別に文句は言いません。でもね、堂本剛のファンって・・・いや、ジャニーズファンは音楽性についてはあまり興味もってないというか、そこを重視しているならまずはジャニーズに惹かれないでしょうよ。ってことなのです。5月のライブを横アリで観る機会がありましたが、あれは・・・客よりも演者が楽しいだけのものでした。実際、参加ミュージシャンのブログなどは楽しかったと書かれています。楽しいっていうのは会場内が盛り上がってといった風の楽しいではなくて、自分の力量云々での楽しいという感想でね。それを観たとき、このライブ自体に疑問を抱きました。

そしてそんなライブで、音楽性については無頓着なファンがついてこれるのか?というところなんですよ。更に、ファンは求めているものが提供されないとわかっていたら、わざわざお金と時間をかけて観に行かないということなんですよ。


そこを見間違えると今回のような結末を招くのです。


ただし、剛の音楽性を知ってファンになった人ももちろんいると思います。でもね、その数は圧倒的に少ないと思われますよ。その証拠に、会場が埋まらないのですから。

こう書いていると剛に厳しいと感じるかもしれませんが、光一だって同じことなんです。

まずはひとりキンキと言ってもいいくらい、キンキをひとりでやっているかのような雰囲気の光一のソロコンサート。あそこに剛が加わったら、何の不思議もなくキンキになれるんですよ。(今はこう書いてしまうことに抵抗があるけれど、とりあえず)でも、逆は絶対に成立しないでしょう?もし光一がギター片手に全く踊らず歌い倒しのコンサートをしたら。私は1回観ればいいやと思ってしまうでしょう。反対に剛が口パクで踊り倒しのコンサートをしたら、私は数回みたいと思ってしまうでしょう、ということなんですよ。

だからと言って踊ってればなんでもいいか?と問われれば、そうではないんですよ。

帝劇も今年はさすがにチケットが定価で譲られたり額面割れしたことがありました。定価で観たい人は沢山いるので、まだまだ飽きられるといったことは先の話になるでしょう。それでも公演内容がここまで毎年同じではキャストを変更して雰囲気を変えるという手法はそろそろ通用しなくなるのではないでしょうか。そこは帝劇だけでなくソロコンにしても、常に求められているものを把握し、適切に対応していく努力が必要なんです。光一の場合は、そこが過剰にならず、生かさず殺さずといった絶妙さなんですよね。このバランスが崩れ出したらどうなるか。でしょうね。

また、帝劇は毎年同じペースで行っています。これはこれで武器なんですよ。ファンの中でも生活の中に溶け込んでしまっているんですよね。何も考えず毎度繰り返している行動としてインプットされてしまっているので、観劇すること&観劇したいと思うことが当然と思い込んでいるのです。これは、主催者側からしたらしてやったりなんですよ。ニューロマーケティングの中で、人はあることに対して抵抗出来ず何も考えずお金を払ってしまう行動があると言われています。まさしく、これもそのひとつなのです。まるでクリスマスやバレンタインというだけで買い物をしてしまうように、チケット購入をしてしまうのです。また、日程が決まっているので予定が立てやすく、事前に自分の中で予定を立ててお金などの準備も出来る。
帝劇のみで観られるということも大切なんです。ほかでは見られないから行くしかない、という状況は人を呼ぶには大事な条件なのです。(私個人としては帝劇は本当イヤになるほど観劇に適さない観にくい劇場だと思っているので、もっと良い会場へ引っ越して欲しいという希望がありますけどね。事務所的には、伝統ある劇場で公演を重ねるということを重視しているのでしょう。その方が演目と演者の価値があがりますからね。)これが何月からどれくらいの期間あるか、会場はどこか、が毎年違っているという状態だったらここまでのロングランは無理だったのではないかと予想されます。
また、帝劇とは対照的に、不定期なソロコン。堂本光一は、ソロをやりたがらない。というのはあえての狙いなのかどうかはおいておいて、「次にいつあるかわからないから無理してでも日程に都合をつけて参加したい」という気持ちをファンへ抱かせることには成功しています。限定感に人は弱いですからね。

そして、光一ですら今回のオーラス変更はオーラス詐欺と陰口を叩かれたくらいなのに、剛は次から次へとライブ日程を発表していく始末。名義がどうであれ剛のファンは観にいくものです。でもね、このダラダラズルズルした日程(。。。そうね、ライブ中のセッションで見せる終わりがみえないダラダラズルズル感にそっくり(笑))にファンはついていけなくなっているのですよ。サイゾーHPでは「ファン離れ」と書かれていますが、ファンの気力、財力が尽きたってところが本当のところではないでしょうか。

自滅はしてくれるなよ堂本剛